にけつという千原兄弟のジュニアさんとケンドーコバヤシさんのトーク番組で興味深いことを話していた。
それは若手芸人の霜降り明星の粗品の話だ。霜降り明星は去年M−1を優勝し、今年のR−1ではツッコミの粗品が優勝した。今、大注目の若手芸人だ。
そのR−1優勝後のインタビューで、粗品は感極まってこう答えた。
「早くセイヤに会いたいです」
セイヤとは彼の相方のことだ。
優勝後のインタビューで相方に会いたいと答える。自分たちの世代の芸人の感覚にこれはない。
たとえそんなこと思っても、照れ隠しでくさしたりして笑いにする。だが霜降り明星、ミキのような若手芸人は、そんな照れなど一切ない。相方の想いを率直に伝えられる。時代は変わった。
ジュニアさんとケンコバさんがそうしみじみと話されていた。
たしかに昔の芸人さんは、相方をどう想っているかなどテレビやメディアで語ることなどほぼなかった。
けれど今はコンビ同士の仲の良さを隠さない芸人さんが増えはじめ、世間もそれを評価するようになった。サンドウィッチマンさんなどが代表的な存在だ。
少し話は変わるが、十年ほど前サンドウィッチマンさんと打ち合わせをしたとき、伊達さんが、
「富澤はすごいんですよ。こいつほどネタ書けるやついないですよ」
と相方の富澤さんを絶賛しはじめたのだ。
打ち合わせで相方を褒める芸人さんがいるんだ、と僕は驚いた。これまでの打ち合わせでそんな芸人さんに出会ったことがない。
相方とはテレビと舞台以外では会わないし、楽屋も別々ですよ。相方の携帯番号も知りません。それがお笑いコンビの関係性というものだった。
だが十年ほど経って、サンドウィッチさんのようなコンビ間の仲の良さを隠さない芸人さんがあらわれ、かつ霜降り明星のような照れもなしに相方の愛情を伝える芸人さんが出てきたのだ。
愛情や感情を素直に、率直に伝える。
これは昭和世代のおっさんには中々できないことだ。昔は愚妻や豚児など、家族を素直に褒められずに照れ隠しでくさす言葉があったが、今は死語と化している。
ハードボイルドというジャンルが下火になったのは、ハードボイルドの主人公は照れの象徴みたいなものだからではないだろうか。照れるという感覚が消えつつあるからこそ、ハードボイルドそのものもなくなりつつある。
こういう霜降り明星の粗品のような若者は、少年漫画の主人公ぐらいだった。ワンピースのルフィーのようなヒーローは、仲間(つまり芸人でいう相方)への愛情を包み隠さず口にする。そこに照れなど一切ない。
物語のヒーロは、読者の願望を形にしたものでもある。普通の人間はここまで率直に愛情を伝えられないからこそ、ヒーローは読者の憧れとなる。
だが今は、粗品のように素直に愛情を伝えられる若者が増えてきた。
となるとこれからの物語の主人公像も少し変わってくるんじゃないだろうか。仲間、家族の気持ちを表に出すのは当然で、そこにプラス何かが必要になるかもしれない。
そのプラスとはなんだろうか? そんなことを考えながら、小説を書かなければならないのかもしれない。
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